京大卒の山西惇||大学は勉強する方法を学ぶ所||量子力学は芝居に通じる

山西 惇と名前を言われても

ピーンと来ない人が多いかも知れないですが
ドラマ「相棒」の「暇か?」が口癖の組対5課の
角田課長と言えばああ、あの人かと思い浮かぶでしょう

山西3

最近ドラマ以外にもバラエティ系クイズ番組などに
出演して活躍の場を広げている

山西 惇が役者の道を歩むきっかけは

京都大学1回生の時

2001年に、近藤芳正が中心に旗揚げした
5回生だった辰巳琢郎さんが座長の
「劇団そとばこまち」に入団するきっかけは
大学でチラシをもらって芝居を見て、衝撃を受け
やりたいことが全部詰まっていてこれだと思って飛び込んだという

しかもこの劇団との出会いが自分の人生を大きく変え様とは
山西 自身思いもしなかったであろう

劇団をやりながら授業もきちんと受け両立させていたが
2回生の時に単位を1個落として留年してしまったと述べている

卒業論文の題目は

「アルファアニシルネオペンチル系化合物のソルボリシスに関する研究」
何のことだか皆目理解出来ないが、舌を噛みそうでとても長い
タイトルと言う事だけ理解できる

就活はマスコミ関係を受け見事に落ち
教授の推薦で合成潤滑油関係の会社に入社

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会社では作業着を着て最初の1年間は研究の日々であったが
2年目の年に生瀬勝久さんが「そとばこまち」の座長になると聞き
芝居の虫が騒ぎだし、どうしても一緒にやりたくなり
週末や就業後に劇団に出て仕事と両立させていたが

会社と劇団の両立は、体力的にも厳しくなりどちらかを
選択しなければいけなくなったそうで

山西2

劇団の東京での初公演に合わせ3年8ヶ月で勤めた会社を辞めて
役者で生きていく事にしたそうです

安定したサラリーマン生活を辞め
不安定な役者の道を選ぶと言うことは重大な決断だったと思われる

劇団ダンダンブエノの全公演に酒井敏也ともに出演しており
2006年の公演では演出も手がけた
今の活躍を考えると間違いではなっかたですね

芸名の山西 惇の由来は、高校時代1年先輩に山西という人がおり
その人と顔が良く似ていたから、高校時代から山西と呼ばれていた為
それを芸名にしたそうである
余程先輩の山西さんが、尊敬出来る人だったと推測される

東大寺学園とは

東大寺学園は奈良県奈良市にある
比較的新興の中高一貫校で
東大寺を母体として1926年5月4日開校
当初は勤労青年を対象とした夜間旧制中学だったが
1963年に全日制課程を新設し現校名に改称
1977年を最後に定時制課程を休止し全日制のみとなる

偏差値が77と全国でも屈指の進学校

校風は自由な学校で制服が無く、生徒手帳もないから校則もない
自由な校風と言えば聞こえはいいがそれは生徒にとって大変なことと思う
自律的にアカデミックな面も極めていかなければならない

学校内で平均的な点数、校内偏差値が50以上くらいあれば
京大に8割くらいの確率で入学出来るといわれている

「開成は運動会に力を入れて、灘は文化祭に力を入れる
東大寺は卒業式に力を入れる」と言われているが

実際卒業式の入場で生徒たちは仮装をしたり
デスマスクをつけたり、被り物をしたり
寸劇というかコントみたいなことをしたり
おまけに式の日程が2月14日のバレンタインと
男子校とは無縁のイベントの日に行われるので
チョコをまきながら入場したりと
生徒側も「何か面白いことしたろ」という気風があるみたいである

酒井

生瀬

先生から「今年はふざけるなよ」と注意をされて生徒も
一応元気よく「はい」と返事はするが式が始まると
もう彼等のパホーマンスを止める事は無理である

この様な校風の中、山西は東大寺学園時代は
進学校なのにバンドやったり映画を撮ったりして学園生活を
エンジョイしていたが、それでも京都大学に入学出来るとは
東大寺学園高校はなんと素晴らしい学園なのだろう

結婚して子供は何人

西山1

山西さん1992年に所属劇団のスタッフと結婚するが
2002年に離婚する

2008年にスタイリストをやっていた現在の奥さんと再婚
山西さんと奥さんの年齢差はなんと19歳

お子さんは現在のお嫁さんとの間に一男三女を設けられている

長男の幼稚園の入園式や長女の発表会を見に行ったりして
積極的に子育てに参加されている様で
ドラマ「相棒」で共演している水谷豊さんと子育てに付いて
花が咲くことがあるそうで
お子さん達が可愛くてたまらないのでしょう

山西 惇さんのコメント

俺のやりたいことが全部つまってる

最初に見た芝居は「中華風倭人伝」
感染すると日本語が中国風になまっちゃう
ウイルスが蔓延するんです
「愛してるアルヨ」って
大真面目にばかばかしくて腹がよじれた
もう、これだって思いまして飛び込みました
当時は学生演劇が花開いた時期で
そとばこまちは阪急ファイブの小劇場「オレンジルーム」で
上演してたんですが
それがサークル活動から逸脱しているんじゃないかと
大学の自治会に目をつけられましてね
新団員の最初の仕事は、稽古場探しですよ
不動産屋さんに電話して、
「夜中おっきい声出しても大丈夫なところは」
軸足は劇団にありましたが、授業も出ましたよ
石油化学科は必修の科目、それも朝イチが多くて
劇団の活動は夜中まであるし、とにかく朝行くだけは行かなきゃ、と

2回生から3回生になれなかったんですよ
ドイツ語一個だけ落としちゃった
がんばってたんですけどね

就職活動では劇団の先輩がマスコミ志望の人が多かったので
何も考えずに僕も見事に落ちて
結局、教授の推薦で石油化学系の会社に就職しました

合成潤滑油の企業で作業着を着て
研究の日々

最初の1年は研究オンリーだったんですけど
2年目に生瀬(勝久)さんがそとばこまちの座長になるって聞いて
どうしても一緒にやりたくなって
週末や終業後に舞台に出ていました
結局3年8カ月勤めて、生瀬座長で初めて
東京の本多劇場に出るっていうときに
芝居一本の道を選んだ

不真面目な学生でしたけど京大は行ってよかったですよ
最初の授業で、
「大学は勉強する方法を学ぶところなんですよ」

という先生の言葉が聴けただけでもかいがあった
僕が学んだ量子力学は細かく見ていくと
最後、哲学の領域に入っていくなあと思ったり
エントロピーの法則が人と人の間にも当てはまるなあとか
芝居にも通じるところがある

こういう話をしたら、(俳優の)小林薫さんにエライ喜ばれまして
それから連れていかれるたびに、
「こいつおもろい話しますねん、あれ、ちょっとやったって」
て、このネタさせられるんです

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山西 惇(やまにし あつし)プロフィール

本  名    ☆畑中 敦史(はたなか あつし)
生年月日    ☆1962年12月12日
出 身 地    ☆京都府京都市
身 長    ☆170cm
体  重    ☆67kg
血 液 型    ☆B 型

所属事務所   ☆キューブ(リコモーション東京)

東大寺学園高校→京都大学工学部石油化学科と進学

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