SMAPにエールを送ったスガシカオ||独立で散々苦労を味わっていた

スガシカオC

公開生謝罪でひとまずSMAPの解散騒動は沈静化

1月18日の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)でメンバーが
“公開生謝罪”し、徐々に落ち着きを見せているSMAPの解散騒動
21日には生放送以降初めてメンバーが集結し
『SMAP×SMAP』の歌とトーク部分の収録が行われた

22日付のデイリースポーツによれば
21日の同番組収録後に
ジャニーズ所属タレント一同を集めた食事会を開催し

SMAPが“ケジメの謝罪”を行ったとのこと
会の発案者は木村で、午後10時半頃に
都内の料理店に続々とジャニーズタレントを乗せた車が到着
嵐・大野智らが店に駆け込み
藤島ジュリー景子副社長も同席したと報じている

スガ シカオが公開生謝罪前に

日本が誇るシンガーソングライターのスガ シカオが
スマスマの生放送決定が公表される直前の夜

業界人としてではなくいちファンとして
心境を語っている

生中継で“5人”の胸の内に触れられると決まる前の
最も不安な時期に
Twitterでの、スガ シカオの言葉に
同じく不安に駆られていたSMAPファンにとって心の支えになり

スガのツイートは大きな反響を呼び

拡散されていった

経験した者にしか分からない境地

真偽は解からないが
「独立」という言葉とともに報道が加速していったSMAP

実際に絶頂期で独立を経験されたスガ シカオだからこそ
今のSMAPに対し
いち経験者として心を寄せたくなる瞬間があったのかもしれない

どうしてスガ シカオが心境をこぼしたのか
そこには、スガ シカオがSMAPに心を寄せる
2つの理由が存在している

1. 「SMAPとの出会いがなければ、今の自分もなかった」

渋谷区出身のスガ シカオは大学卒業後
制作会社に就職し、約4年間サラリーマンとして勤務
1997年、シングル「ヒットチャートをかけぬけろ」で
メジャーデビューし、ラジオ局のヘビーローテーション
音楽専門誌を中心に活躍

とはいっても知名度は低い状況

しかし、同年既に、SMAPのアルバム曲「ココニイルコト」を楽曲提供
そして“あの曲”のオファーが舞い込むきっかけになっtいる

元々、SMAPのアルバムの中の楽曲として「ココニイルコト」を
提供していた事もあり
「君、歌詞いいから、これに歌詞つけてくんない?」と頼まれたが
当初シングル発売するなどの話は一切なかった模様

飛行機の中で書き上げた「夜空ノムコウ」

スガ シカオ作詞、川村結花作曲でSMAPに提供し
大ヒットとなった「夜空ノムコウ」
スガ シカオはこの曲の作詞にあたって

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「夜空ノムコウ」の作詞を依頼されたスガは
締切当日までその依頼をすっかり忘れており
締切日に札幌でのライブに向かう途中の
羽田空港のロビーで、マネージャーから
指摘されて思い出したという

そのためスガは新千歳空港に向かう
飛行機機内とライブ会場の控室で慌てて作詞をしたと言う

この時点での題名は「夜空のむこう」と
ひらがな表記だったが
後に現在のカタカナ表記に修正された

普段から作詞は一気に書き上げるタイプで
2日置くことはなく、書き直しもしないとか

スガ シカオが歌詞にする言葉の選び方には
時間をかけるのではなく
直感で動くその感性の鋭さにある

スガシカオA

ミリオンセラーと引き換えに始まる、苦悩の日々

歌詞を書いてビクターに行って仮歌を歌って
ブースから出てきたら
SMAPのスタッフが大騒ぎしていたが
でも俺はそのまま帰っった

その後、いつの間にかシングル発売されて
蓋をあけたらあっという間に大ヒット

「バブル経済崩壊後の日本を象徴する歌詞だ」との
評論が尾ひれのように付き
半ば社会現象というような大ヒット

しかしそれは彼にとって自信というよりも
そのステレオタイプなイメージに苦悩する事になった

「夜空ノムコウを歌ってくれませんか?」
「いや、俺のシングルじゃないですから!」って

どこに行っても次の作品もそういうのを求められるし
そういうのを歌わなきゃいけないって
パブリックイメージが凄く強くて脱却するのが大変だった

提供しただけという理由から
発売後も3年間はセルフカバーを拒んでいたという本作

とてつもないヒットゆえに襲う苦悩の日々や
周囲からの暗黙の期待…

かたくなに歌わずにいたのは
決してプレッシャーなどではなく
他でもない“彼ら”への誠意があったからに過ぎない

頼まれたから作っただけということで
スガは公の場で「夜空ノムコウ」の歌唱を行わず
ライブでも一切歌うことはなかった

しかし、教科書掲載や卒業式での楽曲使用
さまざまなカヴァーバージョンが出てきたことで
「スタンダード」となった事を受けて自ら歌うことを決意

スガ自身はもはや「自分の曲」という印象はさらさらなく
他人の曲をアレンジするスタンスで挑んだという

現在においても、SMAPのこの曲を愛して
誰かに伝えようとする心意気には敵はないと認めている

あぁ…音楽の授業で歌った…遠い記憶が蘇った
方も多いかもしれないが

SMAPへの義理立てや、彼らへの想いは
胸に詰まされる思いである

「SMAPのこの曲を愛して、誰かに伝えようとする
心意気に敵はない」と語っていたスガ シカオ

連日のSMAP「解散」「空中分解」「分裂」「独立」といった
あまりに辛い報道を受け
“ひとりのファンとしてSMAPにはずっと歌い続けて欲しいな”と
いうツイートが、改めて深く心に染みわたる

「SMAPとの出会いがなければ今の自分もなかったかもしれない」
この想いがあるからこそ
ひたすらSMAPに心を寄せ
そして、渦中のSMAPへ寄り添うもうひとつの理由は
スガ シカオ自身の
「独立経験」からくるものだったのではないだろうか

2. 絶頂期での「独立」

インディーズ歌手としてゼロから再出発

音楽界を牽引し、メジャーで活躍していた
スガ シカオですが
2011年10月に突然、事務所を独立し
すべてをひとりでこなさなければならない
フリーランスのインディーズアーティストへと転身

2012年6月、レコード会社・マネジメント会社と
契約を結ばず
完全フリーランスとなって初となる音源
配信限定シングル「Re:you/傷口」をリリース

事務所独立
フリーシンガー転身を決断した理由とは

「メジャーのパッケージ感がすごく嫌だったんですよ
自分が心血注いで作った曲って
生々しい形で人に伝わってほしいんですけど
僕の手を離れて、いろんなところをめぐって
その間にジャケットとかPVができて
商品になって僕のところに戻ってくる頃には
生々しさがなくなっちゃう感じがしたんですよね

その感じって、リスナーにも届いちゃうと思うんです
歌詞のメッセージ性にしても
『もっと生々しく響かないと意味ないじゃん』って
思ったんですよね

インディーズでの活動は、めちゃめちゃ生々しかったですね
『なぜ俺はいまこの歌詞を書かなきゃならなかったのか?』って
いうところまで
リスナーにちゃんと聴いてもらえたし
曲ができあがって1週間後に
「先週Twitterで『できた!』って言った曲です」って
言って配信とかもしてたんですよ

「ホントにスガ シカオが作ったんだ」とか
「夜中の1時に完成したんだ」ってわかると
より曲に説得力が出るというか
シンガーソングライターって
そういうものだと思うんですよ

「この人がなぜこの曲を書く必要があったのか?」と
いうところまで伝わらないと
曲が伝わりきらない
ジャケットも自分でデザインして

録音も自分でやって、ホントに何から何まで
自分でやってるところを
リスナーに見てもらったんです

インディーズであれば

スガシカオB

生々しいぐらいに
「スガ シカオの音楽」を伝えることができる
その一方で、プロモーションにはかなり苦戦されたともいう

スガは、TwitterやFacebook
メルマガで自ら告知

ユーザーが敏感で噓偽りが許されないSNCとあって
より本音でリスナーに向き合い説得力が増したと語っている

メジャーとインディーズ
両方を経験したからこそ、再びの決断へ

2011年に独立して
「もうメジャーに戻ることはないかなあ」って思ってたんですよ
でも、SPEEDSTARの方が足しげくライブに来てくださって

僕はメジャーの方法論についていけなくなった部分があって
それでメジャーをやめたんですけど
その考えを理解しつつ
「インディーズでやってることの延長線上で
最大限協力するので
もう1回メジャーでやりませんか?」っていう
話をしてくれて

1年ぐらい話し合った結果
「新しいやり方を見つけられるのかもしれない」と思って
契約をしました

メジャーシーンに完全復帰 

ビクターエンタテイメント内のレーベル
SPEEDSTAR RECORDS(スピードスターレコーズ)からの
熱烈なラブコールにより
遂に、生の音楽活動に向き合ってきたからこそ
スガ シカオは再び決断の時を迎える

スガ シカオは
インディーズで得た経験をすべてを活かした上で
新たな扉を開き
2014年メジャーシーンに完全復帰を果たす

スガ シカオのニューアルバム『THE LAST』が
2016年1月20日に発売された
前作『FUNKASTiC』以来
実に6年ぶりのオリジナルアルバムとなる

前作から、今作に至る迄
スガ シカオをとりまく状況は激変した
2011年に前事務所からの独立を発表
一人の表現者に立ち返ること
そして自らの信念や理想を誠実に追求することを考え
インディーズに活動の場を移した

また独立してからは、アーティスト活動のみならず
マネージャー業も兼任

2012年には一人になってからの不安
重圧が続き、右耳の突発性難聴を発症し
病とも闘いながら音楽活動を行なってきた

そんな状況の中で、スガは自己、時代
個々と向き合いながら
メジャー、インディーズに捉われない
“新たなフィールド”を求めて多くの新曲を生み続けた

2015年初頭から小林武史との
共同プロデュースでレコーディングも開始

2014年、スガはメジャー復帰シングル
「アストライド」で独立時の微かな希望を歌った
「アストライド」の世界観をベースに
構築されたニューアルバムには
「アストライド」の序章
つまり前進しようとする決意に至るまでを綴った
“プレアストライド”とも言える楽曲
「ふるえる手」を筆頭に

グルービィなナンバーから心震わすバラードまで
“日常の闇”から“恋愛”まで多岐にわたった
全11曲を収録した

ライナーノーツを村上春樹氏が手掛

2016年1月20日にリリースされた
スガ シカオのニューアルバム
『THE LAST』のライナーノーツを村上春樹氏が手掛けている

以前から村上作品のファンであることを
公言していたスガ シカオ
村上氏も2005年発表の音楽評論集
『意味がなければスイングはない』で
「微妙なごつごつさや細かいツノの立ち具合
エラの張り具合が
なんといってもこの人の歌詞の持ち味なのだ」と
スガの歌詞を評価し

2004年発表の長編小説『アフターダーク』に
スガの楽曲“バクダンジュース”を登場させるなど
かねてからスガの音楽に注目していたことから
両者の親交がスタートしたという

新作の制作にあたって
スガの強い希望で村上にライナーノーツの
執筆をオファーし、村上がこれを快諾
村上による文章は

『「うまく呑み込めない気持ちのカタマリのように」
スガ シカオの新しいアルバムのためのライナーノート』と題され
スガの音楽に対する想いやアルバム収録曲の解説などが
約3千文字にわたって記されている

村上が日本のアーティストの作品の
ライナーノーツを手掛けるのは、今回初となる

今回の発表とあわせて『THE LAST』の特設サイトでは
収録曲の全曲試聴および歌詞の公開がスタートしている

本   名、菅 止戈男
1966年7月28日東京生まれ
1995年、タワーレコード内の
音楽レーベルバウンス・レコーズから
菅止戈男名義でミニ・アルバム「0101」を発表
1997年2月、マキシシングル
「ヒットチャートをかけぬけろ」で
メジャーデビューを果たし現在に至る

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