井岡、初防衛ー日本歴代6位ー世界戦10勝

井岡、初防衛!判定3-0日本歴代6位世界戦10勝

2015年9月27日

プロボクシング:WBA世界フライ級タイトルマッチ12回戦が
27日 エディオンアリーナ大阪で行われ
挑戦者の同級10位、強打のロベルト・ドミンゴ・ソーサ(30=アルゼンチン)に
3-0(119-109、119-109、120-108)の大差の判定で
王者の井岡一翔(26=井岡)が
日本歴代6位に並ぶ世界戦10勝目を挙げ初防衛に成功した

完璧な守りに徹して攻めに難

面白いように相手のパンチを空転させた
井岡がスピードと反応の良さを生かし
1階級上が主戦場だったソーサに完勝した

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一回から主導権を握る
左ジャブで距離感をつかみ、相手の右ストレートを読み切ったように井岡フック
上体の動きでかわした
三回にはガードで防いでいた左フックにも対応し、空を切らせた
「まともにパンチをもらわなかった」というほど、ピンチは皆無だった

その秘密は、井岡の構え方にあるフライ級に転向後
やや前傾姿勢に変えた
これまではガードで防ぐことが多かったが、前かがみの分だけ
懐が深くなり上体を反らしてかわせる理由だ

ただ、守りが完璧だった半面、攻撃は物足りなさが残った
ソーサの弱点はボディーと見て、序盤から打ち続けた
九回には左ボディーでガードを下げさせ、ワンツーでぐらつかせた
十二回は右ボディーアッパーで後退させた
思惑通りの攻撃で「十二回をやり切れたのは収穫」と手応えを口にするが
ダウンは奪えなかった。

ミニマム、ライトフライ両級と合わせて通算7度目の防衛
父の一法会長は「パンチも、手数も、体の当たりも磨かないといけない」と
フライ級での課題を挙げる「フライ級最強を証明したい」と公言する王者には
年末に予定される次戦でのKOを期待したい

戦績は

井岡   19戦18勝(10KO)1敗
ソーサ  30戦26勝(14KO)3敗1分け

1R  両者、静かな立ち上がり 井岡の左ボディーブロー、右のカウンターなど
ヒットするも 連打にはならず

2R  前進して圧力をかけるソーサ、井岡は左右の動きでいなす
2分過ぎ左ジャブから流れをつくる井岡だが、ソーサも反撃、簡単には下がらない

3R  上下に打ち分ける井岡、ソーサのパンチは距離をとってさける

4R  井岡の右ストレートがソーサのアゴをとらえるが決定打にはならず
ボディの連打でソーサの体が曲がる

5R  井岡は相手のパンチをよく見てカウンター。井岡の左ボディー、アッパー
右ボディーとコンビネーションが決まる

6R  井岡、スウェー、ダッキングで相手のパンチをさけるが
ソーサは強打を打ち続け前に出てくる

7R  リング中央で打ち合う両者、決定打は出ない。少し疲れも見える

8R  的確なパンチを放つ井岡だが、手数が減ってきた

9R  井岡のボディー攻撃を嫌がるソーサだが、圧力はゆるめない

10R 起死回生のパンチを狙い前に出るソーサ、井岡はロープ際まで押し込まれる

11R 井岡も負けずと前に出る、ボディーからのショートアッパーなど攻めるが
ソーサも強いパンチで応戦

12R 1発を狙うソーサ、井岡もボディーから勝機をうかがうが、ゴング、判定に

判定  ジャッジ3-0(119-109、119-109、120-108)

井岡は「KOをお見せしたかったけど、勝ったことがよかった」と勝利を喜んだ
世界戦3階級でのKO勝利は持ち越しとなった。

今後は、年末に前王者レベコとの再戦も含めた防衛戦
来春には他団体王者との統一戦も視野に入れる

井岡一翔(いおか・かずと)

1989年(平元)3月24日、大阪・堺市生まれ
元世界2階級王者井岡弘樹氏のおい
大阪・興国高では史上3人目の高校6冠に
8年に東農大を中退してプロ転向
7戦目で世界王座獲得し、当時の国内最速記を樹立
12年6月には、WBA&WBCミニマム級王座を統一
日本人初の2団体王者となる同12月にはWBA世界ライトフライ級
第33代日本ライトフライ級王者
第13代WBC世界ミニマム級王者
第21代WBA世界ミニマム級王者
第27代WBA世界ライトフライ級王者
第75代WBA世界フライ級王者
世界最速18戦目で3階級制覇王者

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エーケー・グローバル・エージェントとマネジメント契約を結んでいる
165センチの右ボクサーファイター得意
パンチは左フック 家族は両親と弟2人
父で元プロボクサーの井岡一法が会長を務める
井岡ボクシングジム・プロフェッショナル所属

井岡ボクシングジム初代会長で井岡ボクシングトレーニングジム
(通称井岡弘樹ジム)会長の元世界2階級制覇王者井岡弘樹は叔父(一法の弟)

調印式と計量

27日のダブル世界戦の調印式と前日計量が大阪市内で行われ、出場4選手がいずれも1回でパス
初防衛を狙う井岡一翔(26、井岡)は3階級王者の力を見せつけ、KO勝利を狙う。井岡計量風景

計量直後の写真撮影中井岡がソーサと約10秒間、にらみ合った「本番はあす
リングで僕の怖さ、強さを思い知らせます」計量はリミットの50・8キロでパスしたが
計量前検診の数値に多少の異変があった1分間の心拍数が「96」
毎朝ロードワークを欠かさない勤勉王者はマラソンランナー並みの「36」を
マークしたこともあり、前日(25日)の予備検診では「44」だった
挑戦者陣営の美人マネジャー、ナタリア・リベロさん(27)の派手な原色タンクトップ姿に
胸がときめいたことが心拍数倍増の原因かと思いきや、本人は「それはないです」と笑って否定
「コンディションは凄くいい」と体調万全を強調した

3階級制覇が懸かった前回は勝ちに徹した内容だったが、今回はKOも積極的に狙う
「雑になってKOしても意味がない
しっかり打って、打たせないボクシングで自分のスタイルを出す
鮮やかなフィニッシュのイメージはできている」と語った

WBA防衛戦の井岡陣営仰天!“注射器騒動”

(東スポ)

ソーサの検診中、ナタリアさんは 一翔をギョロリとにらみつけた
WBA世界フライ級タイトルマッチ(27日、エディオンアリーナ大阪)で
王者の井岡一翔(26=井岡)に挑戦する同級10位ロベルト・ドミンゴ・ソーサ
(30=アルゼンチン)の陣営が“ドーピング疑惑”騒動を巻き起こした
25日には大阪市内の病院で予備検診が行われたが、ソーサの美人巨乳マネジャーが
「注射器を使わせて」ととんでもない要求
これには井岡陣営も怒りの声を上げたのだ

この日、計測されたデータでは、身長は一翔が5・7センチ高く
リーチは逆にソーサのほうが4・8センチ長かった
お互いに初対面の相手の印象を「特にないけど、コンディションは良さそう」(一翔)
「自分のほうがリーチが長いのは有利かもしれないけど
身長を含めてそんなに変わらない」(ソーサ)と話し、行事は粛々と終わった…と見られた

ところが、両選手が引き揚げた後、ソーサのマネジャーのナタリア・リベロさん(27)が
日本ボクシングコミッション(JBC)職員とドクターに執拗に食い下がっていた
その内容はなんと「明日(26日)の計量後、持参したビタミン剤を打ちたいので
注射器を使わせてほしい」という驚きの要求だった            ioka
糖尿病などの治療に必要といった証明がない限り
外国人が日本に注射器を持ち込むことはご法度
麻薬や違反薬物の使用目的と判断されれば最悪、逮捕されることもある
ソーサ陣営には医師の資格を持つスタッフもいるため、それは百も承知
この日は病院で予備検診が行われたため「注射器を貸してくれ」と言いだしたのだ

前代未聞の要求にJBCもドクターも困惑しきりだったが、その場に居合わせた
一翔の叔父でもある井岡弘樹氏(46=井岡弘樹ジム会長)がピシャリと言い放った

「そんなん、絶対ダメですよ
『ビタミン剤』とか言ったって、何を注射するかわかったもんじゃない

ソーサ側は「ドーピングに引っかかるようなものではない」と主張したが
弘樹会長は断固として「NG」を主張
JBCも東京の本部と協議した結果「認めない」との結論を下した
“前哨戦”に勝利した余裕か、弘樹会長はソーサと別行動になり移動手段がなくなった
巨乳マネージャー等を「送りますわ」とマイカーでホテルに送り届けたのだが
いずれにせよ、計量後に注射に頼るとは、自信のなさの表れなのか
勝負の流れは、一翔に大きく傾いていたといえる

日本のプロボクサー

、「坂田健史」

日本の法律では職業としてボクシングを行うのに資格は必要ないが、
試合を行う団体に選手登録しライセンス(選手登録証)を受けることが必要になる
ここでは日本ボクシングコミッション(JBC)の「ボクサーライセンス」を例にとって説明

JBCが実施するプロボクサーライセンス取得のための試験(以下、プロテスト)は
筆記と実技によって行われる
男女とも筆記は主に規則に関する平易な問題で構成されたペーパーテスト
実技は受験者同士による、通常2Rのスパーリング形式
(ヘッドギア着用、男子は2分30秒1R-インターバル30秒)で行われ
ワンツーパンチを基本とする攻撃や、ガードを中心とする守備の技能が備わっているかを
審査する このうち実技審査のスパーリングは、あくまで技能の完成度を見るものであるため
対戦中に不利であったからといって不合格になるとは限らない

世界ボクシング協会(World Boxing Association / WBA)は
プロボクシングの世界王座認定団体の一つ
本部はベネズエラのマラカイに所在していたが、2007年初頭に
パナマのパナマシティに移転した

スーパー王座制度

WBA世界王者が他三団体のいずれかの王座を獲得し統一王者となった場合
WBAスーパー王座として承認される
WBA世界王座はスーパー王座として繰上げされ、通常のWBA世界王座(正規王座)は
空位となり、空位となった通常の王座に新たな選手が認定される
WBAはスーパー王者と正規王者の2人が同時に存在し別々に防衛戦を行うことを認めており
この制度のメリットとしてはタイトルマッチにおけるタイトルの
承認料金を二重に取れることが挙げられる
2008年7月26日、アントニオ・マルガリートはIBFウェルター級王座を返上した後に
WBA王座を獲得したが、事前にIBFを獲得し実質的に統一王者であるとして
スーパー王者と認定された
その後、スーパー王座は、マルガリートに勝ったシェーン・モズリーへの移動を認めている
2009年2月13日、ライト級スーパー王者ネート・キャンベルが試合前計量に失格して
WBAスーパー、WBO、IBFのライト級王座が同時に空位になった
WBOはランキング2位のファン・マヌエル・マルケスと3位のファン・ディアスで
空位の王座決定戦を行うことにした。そこでWBAも
その試合を空位のスーパー王座決定戦として認定した。

米国主導から中南米主導の団体へ

1974年、パナマで開催されたWBA総会でエリアス・コルドバ(パナマ)が
米国・カナダ人以外では初めて会長に選出された
それ以降、アメリカ合衆国からの会長選出は無く、エリアス・コルドバ(パナマ)→
マンドリー・ガリンデス(ベネズエラ)→ロドリゴ・サンチェス(パナマ)と
WBAの主導権はアメリカ合衆国から中南米諸国に移る
1982年、ロドリゴ・サンチェス会長の急死を受けて行われたWBA会長選挙で
米国勢力の巻き返しを狙って擁立されたロバート・リーが、選挙で敗れると
米国勢力は、そのままロバート・リーを担いでWBAを脱退し
新たな世界選手権の統括機構であるIBFを設立
分裂が固定化する一方WBAも、この選挙で選出されたヒルベルト・メンドサ(ベネズエラ)会長が
以後現在に至るまで会長を務め、次期会長が子息であるヒルベルト・メンドサ・ジュニアに
世襲されることが確実となり、暫定王者とスーパー王者の乱造と相まって
世界最初の世界選手権の統一統括機構であった老舗の団体としての色をなくし
主要四団体の一つに過ぎない存在に埋没しつつあるのではないかと指摘がなされている

2002年8月25日井岡ジムは大阪市浪速区に開設された

初代会長は日本最年少で世界王座を獲得し、WBC世界ミニマム級・WBA世界ライトフライ級の
2階級を制覇した井岡弘樹、プロモーターは弘樹の実兄である井岡一法がトレーナー兼任で務める

オープン当日、貴闘力忠茂らを招いて披露パーティーが開かれ
井岡の恩師であるエディ・タウンゼントの写真をリングサイドに掲げて大東旭(大鵬)が
3Rのエキシビションスパーリングを行った
また、このパーティーにおいて井岡の元同門である元WBA世界ライトフライ級王者
山口圭司が眼疾を理由として現役引退を表明し
以後はチーフトレーナーを務めることが発表された

2009年には一法の長男・井岡一翔が所属選手としてプロデビューを果たして
関心を集める中、一翔の高校の同級生である宮崎亮がジム初のタイトルとなる
日本王座を獲得した

2011年2月11日、一翔がWBC世界ミニマム級王座を獲得
(当時日本最短新記録となる7戦目での世界王座奪取)ジム初の世界王者が誕生した。

2012年、一法がタウンゼントの名を冠したトレーナーへの栄誉である
エディ・タウンゼント賞を受賞
大晦日にはダブル世界戦が開かれ、宮崎が初の世界タイトルとなる
WBA世界ミニマム級王座を獲得
一翔も同ライトフライ級王座を獲得し2階級制覇を達成した

井岡弘樹ジム

2013年6月1日付けで一法が井岡ジム(井岡ボクシングジム・プロフェッショナル)
新会長に就任し、一方で弘樹は「井岡弘樹ジム(井岡ボクシングトレーニングジム)」を
新設して、ともに西日本ボクシング協会に加盟する
それまでは同じ「井岡ジム」の下、弘樹は主にアマチュアと女子、一法はプロの指導を担当しており
それぞれの別の建物で指導していた
所属のうち世界王者2名を含む男子プロの大半は井岡ジム
女子プロ選手全員と一般会員は井岡弘樹ジム所属となった
なお、プロモートについては両ジムとも引き続き一法が担当

日本ボクシング協会(沿革)

1931年2月   「全日本プロフェッショナル拳闘協会」として発足
この協会には、大日本拳闘会(会長:嘉納健治、野口ジム創始者ライオン野口所属)
日本拳闘倶楽部(会長:渡辺勇次郎)、帝國拳闘会(会長:田邊宗英)
東洋拳闘会(鈴木武)が加盟していた
他の準加盟団体には
高橋鱗三が率いる東京ボクシング倶楽部
伊藤成義が率いる東亜拳闘倶楽部があった
未加盟の団体には、日米拳闘倶楽部(会長:山中利一)
日東拳闘倶楽部(会長:益戸克己)、東京拳闘協会(会長:竹屋春光)
國際拳闘倶楽部(会長:大野重治)、極東拳闘倶楽部(会長:鶴橋泰四郎)などがあった
大日本拳闘会には葵拳闘倶楽部、大東拳闘倶楽部など下部のジムが所属していた
1934年10月  「全日本拳闘連盟」に改称
1936年    「大日本拳闘連盟」と分裂
1937年     全日本拳闘連盟解散。
1940年5月  「東京拳闘連合会」発足。
1943年    「大日本拳闘協会」に改称。
1944年    大日本拳闘協会解散
1946年     「日本拳闘協会」設立。
1947年     戦後初の日本王座決定戦開催。
1948年    「全日本ボクシング連盟」と分裂。
1949年    再統合により「全日本ボクシング協会」発足
1952年4月  日本ボクシングコミッション(JBC)を設立。全日本ボクシング協会解散
1957年5月 「プロモーター協会」「マネージャー協会」「オーナー・クラブ」が相次いで発足
1962年4月 プロモーター協会、マネージャー協会、オーナー・クラブの合同により
「日本ボクシング協会」設立
1972年5月 「黒い霧事件」。協栄ジム一門が「日本ボクシング協会」を離脱
“第二協会”旗揚げで分裂。 しかし、新人王トーナメントなどは“第二協会”の
選手の参加も認められ両協会の交流は続き、当初から和解が模索されていた。
1976年11月 前述の“第二協会”と正式に和解し「全日本ボクシング協会」に統合。
1982年夏、  WBA会長選敗北のロバート・リーが国際ボクシング連盟(IBF)設立
JBCは非公認・無視を貫き西日本協会会長経験者だった池田久経営の
奈良池田ジムが柳川次郎をコミッショナーに日本IBF設立
「一国一コミッション」の崩壊、同関係者はJBCから
ライセンス無期限停止で協会から永久追放
1996年6月  東日本協会が新規加盟金制度(代表者・会長が世界王者経験者なら300万
東洋太平洋王者経験者なら400万、日本王者経験者なら500万
その他の者なら1000万円。他地区協会は別規定)
2000年3月 「日本プロボクシング協会」に改称。
2008年    JBCが女子プロボクシングを認可
「一国一コミッション」の原則遵守でJWBCが発展的に解消して
JWBCの総本山であった山木ジム(現在のアルファボクシングジム)が
東日本協会加盟金免除で条件付き参入。同年10月7日の理事会で
広報活動に力を入れるため、広報準備委員会を立ち上げた
委員長は木更津グリーンベイジム会長の植田昭人が勤めることとなった
2010年春 以降 女子のランキング・タイトル管理も( G Legendという名称の興行を
定期的に開催する)東日本協会女子委員会がJBCより委託

JBCとの関係

日本プロボクシング界をまとめる組織として協会とは別に一般財団法人
日本ボクシングコミッション(JBC)が存在し、協会とJBCは互いに独立している
日本国内のプロボクシングにおいて、JBCがライセンスやランキング、ルール面
JPBAが興行面を分担している
一方、ボクシングジムが協会に加盟するには、オーナーとして経営に当たる者が
JBCクラブオーナーライセンスを取得していることが第一条件となる

JPBAに加盟する日本各地のジムが主催し、後楽園ホールなどで日々開催されている
プロボクシングの試合をJBCが正式なものと認定し、勝敗の結果やそれに伴う選手の
ランキング移動などを認定する

すなわちJBCの認定なくしては日本で「プロボクシング」のあらゆる試合は成立しないと
JBCは主張しているがルール第1条「日本ボクシングコミッション・コミッショナーは
(財)日本ボクシングコミッション(以下JAPAN BOXING COMMISSION=JBC)
管轄下で行われる日本での全てのプロフェッショナル・ボクシング(以下プロボクシング)
試合公式試合場におけるスパーリング及び慈善試合を含む)を指揮及び監督する権能を有する」
「JBC管轄下で行われる」の文言は1997年日本
IBF活動再開時に独占禁止法違反の回避に盛り込まれた

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